エーオーブンの旅先備忘録

出かけた場所をよく忘れるので、出かけた先をこのブログに記録する。

三江線巡回ツアー 1日目 ~石見銀山に寄り道~

三江線とは、芸備線の三次駅と山陰本線江津駅を結ぶ超ローカル線で、来年の春に廃止となる。

www.westjr.co.jp
そこで去年(2016年)の10月頃に、天空の駅「宇都井」駅などを見に行ったが、
写真撮影や移動でかなり時間がかかり、家に帰る頃には日付が変わる30分前だった。

しかも帰る途中の高速道路で非常に怖い思いをしたため、かなり後味の悪い旅だった。

この反省を生かして、追悼ドライブでは3月の連休を使い、一日目と三日目は移動に専念して、二日目の全てを三江線の撮影に使うことにした。

 

序盤からトラブル発生

前日の金曜日に仕事疲れでダウンしていたため、早朝の忙しい時間に荷造りの仕上げをする羽目になった。

地元の安いガソリンスタンドで燃料を満タンにして出発したものの、
花粉症避けのマスクを忘れていったん帰宅。

ドタバタしつつも最寄りのICから入って、福山SAでトイレ休憩とルートの確認。
しかし再び走り出した途端、頼りのナビアプリが誤作動して、しばらくナビなしで高速道路を飛ばすことに…。

幸い山陽自動車道から尾道道へ乗り換えるところは覚えていたので、なんとか尾道JCTを突破して、乗り換えた直後にあるICで降りて、最寄りの道の駅でナビを再起動して、後はひたすら高速道路を走って、無事に三次ICで降りた。

石見銀山へ向かう前に、近くのローソンでお昼を食べつつ、石見銀山へのルートを探す。

道路地図とナビアプリのルート検索を照らし合わせながら石見銀山への道を調べて、
さらに途中で寄ったコンビニのおばちゃんに近道を教えてもらい、3時過ぎに石見銀山へ到着した。

世界遺産石見銀山」のもう一つの姿

ところで、石見銀山は今年で世界遺産認定から10周年を迎えるそうだ。
だが石見銀山には、負の遺産があることをご存じだろうか?

それは「石見銀山処刑場」と「千人壷」である。

scary.jp

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千人壷、無念の撤退

46年前に発行された「新石見銀山物語」(石村勝郎 著、1971年出版)よると、この岩見銀山処刑場は蔵泉寺口番所の近くにあり、「さらし首場*1まであったそうだ。

そして処刑された罪人の死体は、とある山中にある千人壷*2という場所に放り投げられたらしい。

しかも井戸の近くには、弥四郎という死刑囚の墓があり、簡単な略歴が刻まれているそうだ。


さて駐車場に車を止めた私は、次のバスまで時間がありそうだったので、徒歩で処刑場跡に向かった。
ちょうどルート上に、千人壷まで至る道もあったので、まずはそちらを先に行くことにした。
「銀山公園 五百羅漢方面遊歩道」と書かれた看板のある階段を下り、
山道を少し歩くと、この写真のような開けた場所に出た。

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民家と「公社造林作業路 三石谷線」に別れる道があり、そこには「千人壷へ300メートル」という案内があったので、その方向へ向かった。

しばらく道を歩いていくと、右手に開けた畑が見えてくる。
地元の方によると、更にそのまま泥道を上っていくと、千人壷があるそうだ。
だが進むにすれ道はどんどん荒れていき、倒れた木々が行く手を阻んでいた

なんとか潜り抜けながら歩いていったが、とうとう電柱より太い木が道を塞いでいて日暮れが迫るなか、遭難する危険性が高いと判断し、やむを得ず引き返した。

 

処刑場跡にある謎の石碑

五百羅に色鮮やかに残る仏像を拝んだりしながら石見銀山のメインストリートへ行く。
そして処刑場跡と呼ばれる場所と、その石碑をついに見ることができた。

先ほどの「新石見銀山物語」によると、処刑場周辺には「蔵泉寺首切(くびきり)場」という地名や、草むらの中に伝説の首荒いの井戸が残っているらしいが、半世紀近く立った今でもあるのかはわからない。

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石碑がある駐車場へ入る許可を戴くついでに、所有者の方に聞いてみたのだが、ここには最近越してきたばかりで、「処刑場のことはあまり詳しく言うな」としか聞いていないそうだ。


結局、千人壷にはたどり着けず、処刑場跡も消化不良気味な結果に終わった。
次回訪れる機会があれば、軍手などを持参し、時間に余裕を持って挑みたい。

*1:昔の時代劇やお化け屋敷で、人の頭部が台の上に並んでいるアレだ

*2:または千人塚